アバターは本気である

moo23

2008年09月14日 09:46




池上英子氏の徳川幕府政権下の江戸時代の民衆文化とセカンドライフを比較・考察した論文"Avatars Are For Real: Virtual Communities and Public Spheres"の一部翻訳。忘備録として。その1。


第1巻第1番
ISSN:1941-8477
“仮想社会研究:過去、現在、そして未来”
アバターは本気である:
仮想コミュニティーとパブリック圏


池上栄子,社会学部,大学院教員,新しい学校の社会的研究とPiet Hut,プログラムの学際的研究法,先端研究のための学会

摘要
徳川時代の日本を例に挙げ、芸術界においてどのように“仮想現実”がもたらされたかを示したい。この、近代における“第二の世界”は、弱い絆を土台に緩く繋がれ、そこに参加した人々が、封建的な階層構造から逃れる機会であった。これらの芸術集団は、しばしば遊びの要素を持って、近代日本の人々の社交に選択肢を与えたが、このことが、政治の現代化に大きな影響を与えることになった。同じように遊びの要素を持ち、政治的に偏らない新たなパブリック圏であり、奥深く予見できない結果を社会一般にもたらす可能性のある仮想世界セカンドライフとの共通点を探る。全く新しいコミュニケーション領域である、Second Life、MICA(Meta Institute for Computational Astrophysics )、および多くの学問分野にまたがるPlay as Beingという先駆けを例に、われわれの分析を示す。結論として、我々は、使い古された“パブリック圏”の概念を改める必要性を見出す。徳川時代の仮想世界、そしてセカンドライフは、弱い絆のネットワークが、驚くほど多様な時代、場所、文化において、パブリック圏の土台を築いていることを示している。

キーワード:仮想世界,仮想コミュニティ,セカンドライフ,徳川,日本
この作品は米国権利著作権のもと保護されている、Creative Commons Attribution-No Derivative Works 3.0という仮想世界の研究誌である。

アバターは本気である
仮想コミュニティーとパブリック圏


連歌の会においての我々のつながりは、いとこ関係に近いものがある。たとえ初めて会った者同士でも、一緒に連歌の世界に入れば、互いに親密さを感じる。年配の人々が彼らの後輩と不快感を持たずに付き合うことができ、高貴な生まれの者が低い身分の者を避けることがないのは、この連歌というやり方によってのみなのだ。

(宗祗法師 1421-1502)
近代日本における連歌のもっとも卓越した詩を作った一人

アバターA:君たちのことは現実世界での友達よりよく知っているように感じるよ。
アバターB:そうだね。ここは僕が本当に自分を表現できる場所だよ。
アバターA:現実世界で会ったことがなくてもね…
アバターC:…そして僕らは別々の三大陸に住んでいる…
アバターB:新参者があっというまに古顔になるのにはびっくりさせられるよ。
アバターC:(笑)ちょっと時間はかかったけどね。でもここに参加できて嬉しいよ。
(セカンドライフでの会話 2008)
論文